現代の日本における「アジア」のイメージ

by car
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Published on: 2014年4月17日

一般論として、我々が受け取るイメージと言うものを、
漠然としたものではなくいくつかに分類して考えてみるのは、理解の上で有意義だと思います。
政治的なイメージ、経済的なイメージ、文化的なイメージ、と言った具合に分けて考えてみるのです。

さて「アジア」という区切りで我々が抱くイメージについて考えてみるとき、
文化的なイメージを考える上での区切りとしては有意義であると感じるのですが、
一方で政治的、経済的イメージをアジアという枠組みで区切ってしまうのには無理があると感じます。

賄賂、汚職、経済危機、こういったイメージは
むしろ格国ごとに区切って考えたほうがよいのではないかと。
政治形態や経済的取り組みにはこれといってアジア共通の傾向があるとは思えませんし、
それを「アジア的」の一括りで括ってしまうのは大変に大まかすぎる分類です。
そのように分類したがる傾向の背後には過去の大東亜共栄圏の着想や、現在におけるEU経済圏の存在が有り、
アジア経済圏のような発想を喚起しがちな、思考風土的土台があると思われます。

本来政治、経済の問題は各国ごとの国益に準じて検討される性質のものでありますので、
「アジア」というのは政治的に云々、経済的に云々というのは、
どうも現実的現状把握にそぐわない見方であるとも思います。
日本の政治が云々、韓国の政治が云々と、国ごとに区切って考察するのにはそれなりに意義があると思うのですが。

「アジア」という言葉の存在に、我々は我々の思考を規定されすぎている側面があるのかもしれません。
歴史上の蓄積からその区分が有意義であると思われる文化的なイメージとしての「アジア」に至っても、
東の仏教、儒教圏と西のイスラム圏を同じアジアとして分類していくのは非常に無理も生じてきてしまいますので。

もっとも大きい分類としては地球全部という「グローバル」という語が隆盛している昨今ですが、
その言葉が大きすぎて実体を捉えられていない人は多いと思います。

そしてまた、「アジア」でさえも言葉としては広すぎる側面があります。
まずは、国単位、地域単位、そして人単位と、小さい区分から考え始めてみる、
という姿勢も必要な時代なのかもしれません。

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