ユーゴが生んだ天才、ストイコビッチ

by car
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Published on: 2014年4月17日

近代の東ヨーロッパサッカー界に於いて、ルーマニアのハジと並び称される天才と言えばドラガン・ストイコビッチしかいないでしょう。
10代の頃にユーゴスラビアのクラブチームでデビューしたストイコビッチは18歳にしてヨーロッパ選手権にユーゴスラビア代表として出場、早くから将来を嘱望されていました。

ストイコビッチが世界に衝撃を与える事となったのは1990年のイタリアワールドカップ、共産主義だったユーゴスラビアは国内リーグで活躍する選手主体の代表チームとなりましたが、この大会に於いて華麗なサッカーを披露、準々決勝でマラドーナ率いるアルゼンチンに敗れはしたものの、そのマラドーナと共に大会のベストイレブンを獲得します。

この活躍が認められ、翌シーズンにはフランスの名門マルセイユへと引き抜かれますが、相次ぐ故障の影響でその華麗なプレーは鳴りを潜め、その後移籍したイタリアのヴェローナでも完全燃焼とは言えない出来に終始しました。
もう終わったかに見えたストイコビッチに救いの手を差し伸べたのは日本の名古屋グランパスでした。
そうして移った日本の地でも、当初はチームに馴染めず、チームも下位を争うほどに低迷していました。
転機が訪れたのはフランスの名将、ベンゲルが監督に就任した1996年です。

彼はストイコビッチをチームの中心に据えるとそれに応えるかの様な活躍を見せ、一気に優勝を争うチームへと変身を遂げました。
ほどなくしてユーゴスラビア代表も国際大会に復帰、復帰最初の大会となった1998年のフランスワールドカップ、彼は代表のキャプテン、背番号10を背負い全盛期と違わぬ動きを披露しました。

長く不遇を味わったストイコビッチは最後、日本の地で、多くのファンに見送られながら現役を、終えた事は何よりの幸福だった事でしょう。

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