1990年代初頭に起こった内戦により、ユーゴスラビア連邦は、ユーゴスラビア、クロアチア、マケドニア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェコビナと5つの国に別れてしまい、YEFAからの制裁措置として、国際試合からも締め出されてしまいます。
ようやく制裁が解けた後も、国際試合から締め出されたブランクは消えず、試合では本領を発揮出来ない事が長く続きました。
ACミランで司令塔として活躍したボバン、レアル・マドリッドで活躍していたシュケル、ヤルニの二人、そして旧ユーゴスラビア時代からのスタープレーヤーだったプロシネツキ、アサノビッチら豊富なタレントを擁したクロアチア代表が本当の意味で輝いたのは1998年のフランスワールドカップでした。
ジャマイカ戦を快勝した代表は続く日本戦、中田の活躍であわや敗戦のピンチに追い込まれるも、カウンターからシュケルが奪った1点を守りきり辛勝、アルゼンチン戦を引き分けて決勝トーナメントに臨みます。
決勝トーナメント一回戦を勝ち準々決勝ではドイツと対戦、このドイツにも決定的な仕事をさせずこの試合も勝ち準決勝のフランス戦に臨みます。
準決勝のフランス戦、フランスのディフェンダー、テュラムのオウンゴールでラッキーの先制点を挙げたものの、そのテュラムが失敗を取り返そうと奮闘、結局このテュラムが2得点を挙げ惜しくも敗れてしまいましたが、3位決定戦で、ブラジルに敗れたオランダ代表には勝ち、分離独立後初の国際舞台で3位と言う輝かしい成績を残すことが出来ました。